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2010/03/20 10:47 |
考える |
先日、結社を解散した。
主な理由は、自分が上手く時間配分が取れなくて、
運営に手が回らなくなったこと。
それと、そんな結社が、人様の大事な1枠を埋めていていいのかと思ったこと。
毎回黙示録には参加したいし、
結社依頼も行きたいとは思うわけで。
贅沢な事だけれど、やはり何処かには身を置きたくなる。
黙 示録と結社依頼専用のものを作るもの考えたけれど…
必ず参加してくれる人だとしても、最低8人は必要なのよね…。
うーん…、現実 的じゃない、か。
もう少し、悩もう、どっちみちすぐにはしっかり動けないのだから。
気遣いや思いは、常に相手と対等であるべきだ。
どちらかに偏るから、どちらかが負担になる。
無理してまで、我慢してまで、その場に在るべきなのか。
むしろそれは、相手にとってとても酷いことなんじゃないか。
この瞬間、今だけ平穏であれば善いと思うことは、人として仕方のないこと。
けれど、それが本当に「その人のためになっているのか」を考えれば、それが善しとは限らない。
心を伝えること、想いを伝えることは、難しい。
精一杯の言葉で伝えたとしても、それには仕草や表情でのフォローがなければ、
相手の心には響かないこともある。
ましてそれが文章だったら尚更だ。
だからやっぱり。
先延ばしにしていいことはない。
時間も奪うし、心も奪う。
繰り返さないようにしよう。
もう、人を傷つけないために。
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